2017年8月18日金曜日

土を求めて (1993年中京記念)

 そんなわけで、90年代競馬を愛でる会カテゴリです。お盆休みで暇ということもあり、少し長文になってしまいました。

 さて90年代のレースですが、ブログで書こうかなと時々思うものの、加齢のためなのか、輝さんの言うようにアルコールで脳細胞がやられているためなのか、はっきりと思い出せないことが多々あります。

 しかも平成一桁台のレースに関しては、ネット上に動画もほとんど上がっていないようです。JRAのサイトにも載ってないし、YouTubeにもG1レースは格別、それ以外のレースは重賞ですら上がっていない。90年代競馬を愛でる記事を上げるにあたり、上手な人なら文章だけでレースの様子を伝えられるかもしれないですが、残念ながらワイにそんなスキルはない・・・。

 であれば、買うしかないじゃないですか、中央競馬DVD年鑑を(真顔

 なお数万円したもよう。

 いやあ、ブロガーの鑑やね・・・。そんなわけで、今回はDVDのキャプチャ画像を取り混ぜつつ、以下のレースを取り上げてみたいと思います。



 お題:第41回 中京記念 (1993年)


 字面を見ただけで勝ち馬を思い出せる人はほとんどいないと思いますが、いかがでしょうか。私も最初思い出せませんでした。記事のネタバレになってしまうので、ここではnetkeibaのリンクは貼らないでおきます。

 さて、この年の中京記念には、1つ大きな特徴がありました。実はこの年、中京競馬場が改修中で、中京記念は別の競馬場で代替開催されたのですね。では、どこの競馬場か。1月から開催していた小倉はさすがにないだろうから、阪神?京都?あるいは新潟?


 いいえ、小倉です。


 今では芝を痛める等の理由から、どこか別の競馬場に振り替えられるような気もしますが、そこは約四半世紀前の世界。中京の代替は同じ関西圏の小倉で行うというのが当時の大原則だったのです。(とか適当に書きましたが、本当にそういう事情だったか不明ですw ここは勢いで。 追記:あとから調べたら札幌で3開催連続とかもあったようで、よく考えると2開催連続は普通か、という気もしますが、まあそこも勢いで。とにかく小倉で開催されたのだということで一つ)

 なので、その年の小倉は1月末に始まった開催から、二ヶ月連続での開催。中京記念が開催される3月21日(書き忘れましたが、当時の中京記念は3月開催。2月末に小倉大賞典(1800m)があり、その2週後に中日新聞杯(1800m)、さらに2週後に中京記念(2000m)があるというレース体系。なんでこの時期に中距離G3がポコポコ配置されているのか、現代から考えるとよく分かりませんが、そこは約四半世紀前。マル父限定という概念が生きており、中日新聞杯だけはマル父限定(父内国産馬限定)レースだったというわけ。)は、16日間連続開催の最終日です。

 今でこそセルシステムが導入され、小倉競馬場の芝もだいぶ綺麗に保たれるようになりましたが、当時はそのような技術もなく、野芝全盛期。昔のジャパンカップとか、黄色っぽい芝でレースが行われているのを見ることがあると思いますが、アレです。アレが野芝。1993年当時は阪神で初めて洋芝が導入された頃(正確には1年ほど前だったかなと思いますが)で、洋芝の是非や馬券攻略方法が盛んに議論されていた時代でした。

 そんなわけで、第一回開催の最終日である小倉大賞典(2月21日)の頃、芝コースはすでにこんな状態でした↓

 (ダートじゃ)ないんだな、これが。

 何故ここまで馬場が悪化するのか、当時の自分(高校1年生)も不思議だったのですが、平日に雪も降ったり、さらにこの日の雨で馬場悪化に拍車が掛かったようです。ちなみに小倉大賞典自体の馬場状態は不良でした。

 で、ただでさえ悪化している馬場状態の中、もっとも悪くなるのはコース内目というのは、四半世紀前でも変わらない真理であります。なので、各騎手はいっせいに外に進路を取ります。顕著に分かるのが第4コーナー。

 ご覧のとおり、ほとんどの馬がいっせいに外を回しています。・・・ただ、1頭だけ内ぴったりを周っている馬もいますね。なおカメラワークのせいか、おっさんの頭で画面の何分の一かが遮られているもよう。なにせ四半世紀前ですから、そういうことも起こるわけです。

 この白い帽子と黒い勝負服の馬は、ラッキーゲランという馬。残念ながらワイが競馬をやり始めた頃には成績も下降線でしたが、過去には巴賞→函館記念→毎日王冠をぶっこ抜いたこともある馬だったらしい(なお天皇賞は17着)。メジロマックイーンの僚馬。

 で、このラッキーゲラン。内田騎手(というと若者はウチパクさんと勘違いしそうですが、内田浩一騎手のことです。武豊が乗る前のメジロマックイーンに乗っていた人)の作戦が奏功し、一瞬先頭に立ちます。


 ただ、いかんせん馬場が悪すぎた。距離得を得ても、最後はスピードとのトレードオフで、4着に負けてしまいます。


 で、まあここからが本題なのですが、この極悪馬場を見て、ニヤリと笑った人がいました。中尾調教師です。あ、中尾調教師というと若者は中尾秀正調教師と勘違いしそうですが、中尾謙太郎調教師です。ファイトガリバーとかを育てた名調教師。本当にニヤリと笑ったかは知りませんが、そういうことで話を進めます。

 実は当時の中尾厩舎には、悩める実力馬が所属していました。ナリタハヤブサという馬です。

 この馬の経歴ですが、デビュー戦は3着に敗れるものの、折り返し新馬戦を圧倒的人気で勝利。武豊のお手馬として以降圧倒的1番人気を背負い続けるも、なぜか条件戦を勝ち上がれない。ただ格上挑戦の重賞では2着に好走し、本賞金を獲得。しかし出走かなったクラシックでは結果が出ず。その後の重賞やオープンレースではそこそこ人気になるも、条件戦と同じく勝ち切れないレースが続く・・・。いわゆる早熟で賞金を稼いでしまった故のジレンマに嵌っていたわけです。


 3歳のシーズンも暮れようとしていた1990年の12月、中尾調教師は一つの選択をします。ダートに使ってみよう、と。

 すると・・・。

 なんと、相手の揃ったウインターS(今でいうところの東海S)を初ダートにもかかわらず、いきなりの勝利。2着はあのカリブソング。その年のフェブラリーハンデ(現在のフェブラリーS)の勝ち馬で、1990年のJRA最優秀ダート馬。当時のダート界では紛れのない横綱でした。それをいきなり破ってしまう・・・野球で例えれば近藤真一がデビュー戦でノーヒットノーランを達成したようなもの。相撲で例えれば多賀竜です。平幕優勝。

 その勢いで、当時のダート馬頂上決戦だったフェブラリーHも、1:34:9という芝並みのタイムで楽勝してしまいます。この瞬間、ナリタハヤブサは間違いなくダート界の帝王にのし上がり、事実1991年のJRA最優秀ダート馬に輝きます。

 その後は故障もあったりで、人気を裏切るレースこそあったものの、ウインターSを連覇

 翌年のフェブラリーSでは60kgという無茶なハンデを背負い3着に負けてしまいますが、帝王賞では低評価を覆し優勝(同着。エビショーと横山典の同着はアパパネとサンテミリオンだけじゃないんだよなあ)。1992年も変わらずダート界のチャンピオンであることを印象づけます。

 圧巻は武蔵野S(当時は5月に実施されていたOPレース。今で言うところのオアシスS?)。60.5kgというハンデを背負いながらも、なんと1600mを1:34.5という信じられないタイムで走破。このレコードが破られるまでには、クロフネの登場まで、およそ10年の歳月を要しました。


 ところが、その後のナリタハヤブサはスランプに陥ります。3連覇を狙ったウインターSでは、珍名馬チェリーコウマンらに大敗。

 最優秀ダート馬のタイトルも逃し(当年度は該当馬なしという結果)、年明けのフェブラリーHもハンデ61kgという信じられないハンデを背負ったことはあれど、暁美、じゃなかった、メイショウホムラの着外に終わってしまいます。


 燃え尽きた感のあるナリタハヤブサ。

 ダートでは重いハンデを背負わされる。

 芝に活路を見出してみても、ダートの賞金も集計されるため、別定OPあたりでは重い斤量を背負わされてしまう。

 芝のハンデ戦であれば斤量の心配はないものの、芝のOP馬を相手にスピード勝負で通用するとも思えない・・・(なお当時のダートレースのレベルについては諸説ありますが、芝から鞍変えした馬がいきなり結果を出すことが往々にしてあり、一般的には芝のレースの方がレベルが高いと思われていました)。

 万策尽きたかに思われたナリタハヤブサでしたが、時は1993年3月。ここに一筋の光明が。ナリタハヤブサ陣営にとっては、まさに蜘蛛の糸のような解決方法がもたらされます。


 ダートみたいな芝レースを走ればいいじゃない。


 そういうことです。芝レースであればスピード負けしてしまう、しかし、ダートのような芝であれば、おまけにそれがハンデ戦であれば、どうでしょう。斤量も軽い、他馬がダートのようなコースに脚を取られる中、こちらは走り慣れたコース(ほぼ土)をすいすい走れる。すべてが・・・すべてがナリタハヤブサに微笑んでいます。

 最大の問題はそんなコースは世界のどこにも存在しないということでしたが・・・なんと、今の小倉競馬場がまさにそんなコースになっているではないか、と。

 ナリタハヤブサは中京記念にエントリーします。なんでしょう、野球で例えると遠山奬志が打者に転向したあと再び左のワンポイントとして投手に復帰したみたいなものでしょうか。相撲でいえばもともと格闘技好きの維新力が最終的には格闘技に転身したみたいなものかもしれません。いや、別に無理して野球と相撲で例える必要もないのですが。

 ただ、そうはいっても中京記念です。芝の中距離巧者もたくさんエントリーしています。

 1番人気はロングタイトル。過去には神戸新聞杯を勝利し、菊花賞でも穴人気に推された西の秘密兵器。前走京都記念も4着に入り、虎視眈々。

 ただ、この馬にとって不幸なことに、一方でナリタハヤブサにとって幸いなことに、彼は内枠(1枠2番)に入ってしまいます。思い切って一旦後ろにでも下げない限り、馬場の悪いところを通らされることは必定。難しいレースになりそうです。

 2番人気はメイショウレグナム。条件戦を3連勝し、小倉大賞典では1番人気に推されていた馬。当時は不良馬場に泣いたわけですが、晴れている今回なら。とはいえ、今回も不良馬場のようなものですが・・・。

 3番人気はメイキングテシオ。この馬は名前のインパクトもあり、無駄に知名度がありました。実績的には中日スポーツ賞2着の他、あのライスシャワーが勝った菊花賞で、ミホノブルボン(3着)の次にゴール板を通過したというぐらい。正直言って生涯通じて過剰人気の馬ではありましたが、ここも上位人気。ちなみに社台馬です。

 で、ナリタハヤブサは5番人気(7.5倍)でした。意外に人気があったのは、上記人気馬もそれほど大したことがない馬たちで、混戦だったのですね。1番人気で5.1倍でした。

 レースがスタートします。ナリタハヤブサは4枠7番。スタート直後、いっせいに馬が外に寄っていきます。もちろん馬場の悪いところを走らせないため。一方で外の馬も内に寄り、馬場の真ん中が渋滞します。


 我らがナリタハヤブサは、内に・・・内に閉じ込められたか・・・?


 当面のライバル、1番人気のロングタイトルは不安的中、シンガリまで下げることを余儀なくされます。終わったな、といったところ。


 そして第一コーナー。あれ、一頭だけ内にいる馬が・・・。

 カメラが引くと、ちょwwww この内外の差wwww 


 そう、ナリタハヤブサは芝のレースに参加する気は毛頭ありませんでした。土のような芝コースを、ダートとして走る。これです。他の馬が芝を、少しでも芝が残っているコースを求めて外を回す中、徹頭徹尾内を突く。たとえそこが土であっても

 向こう正面。コーナー利で4番手ぐらいに位置を上げているナリタハヤブサ。上の画面を見ると、一頭だけ遠近感が微妙にずれているのが分かります。


 そして勝負どころ4コーナー!アラシ(4番人気)が前に出てきた!内は!内は!?

 これか!これがナリタハヤブサ!?・・・カメラが引いていくと・・・

 ちょwwwww 違ったwwww

 そう、さきほどの内を通っていたナリタハヤブサと思われた馬は、メイショウレグナムでした。ナリタハヤブサは、それよりもさらに内。まさに内ラチ沿いぴったりを周っていました。

 実況アナウンサーが外の3頭の実況に集中してて、カメラが引いてナリタハヤブサが映った途端に一瞬黙ってしまうのが面白いです。アナウンサーは「内を通ってアラシが先頭だ」と実況していたのですが、内には内がいたんだよなあ・・・。


 この奇襲、というかナリタハヤブサにとっては正攻法の競馬は見事成功。もちろん外のアラシの方が伸びはいいわけですが、それでもナリタハヤブサもよく食い下がります。直線の最後では久保田騎手がアラシに馬体を寄せていきますが・・・、惜しくも2着に敗れてしまいます。

 ナリタハヤブサはこのレースのあと、帝王賞に挑戦。6着に敗れ現役を退いてしまいました。

 あの日、一瞬輝いたナリタハヤブサ。1993年のあの日、たまたま中京競馬場が改修に入り、たまたま小倉の馬場が悪化し、たまたま燻っていたダート王がいた。このどれが欠けても上記レースは実現しえなかったわけで、運命というのは面白いなと、そういう風に思うわけです。

 そして、私は四半世紀が経った今でも夢想します。あの時、ナリタハヤブサが真っ直ぐ走っていたら、他の馬をまったく眼中に入れず、ひとりダートコースを走り続けていれば、どうなったのかと。

 第二回90年代競馬を愛でる会。本日はこの辺でお開きとさせていただきます。

 [参考]
 ナリタハヤブサ
 第41回中京記念 結果


 追記:DVDを壁に映し、飲みながらあれこれ語る会を近日中に渋谷で開催したいなーと・・・。

8 件のコメント:

  1. なんという
    天才やな
    まじ天才だわ
    はよ出資馬はよ

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    1. モーリスの下地を作った吉田の腕を信じろ。

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  2. ホントね記憶中枢がイカれてきてるんですよ。
    そのレースの映像が浮かぶのに名前出てこないとかたくさんある(笑)
    この時代は中尾三兄弟の厩舎にナリタ、オースミの山路オーナーの馬、メジロ、サクラの馬が躍動してましたよね。
    ナリタハヤブサ懐かしい。懐かしすぎる。
    この馬のダートコースのレコードはなかなか破られなかったですよね確か。

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    1. 3兄弟では中尾銑が名前のインパクトで記憶に残るンゴねえ・・・。
      そういえばオースミロッチ松本達也が宝塚記念で同じような騎乗をしていた記憶。

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  3. なんだか無性にパソコン版かファミコン版のダビスタをやりたくなりました(^^)

    カリブソングもダート・芝兼用で強かったですよね~。

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    1. カリブソングは馬券的にも美味しい感じで、良い馬だなーと思いますね。
      そんなわけで今度お店でDVDを・・・。

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  4. うーん読ませる文章だなあ…
    社台会報あたりに載せたらあっという間に繋超えますねこれは

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    1. 3年前のバスツアーで隣席に乗り合わせた満男が、今回もバスで話しかけてきた。
      「おれ、シャープシューターが当たった時は小躍りで喜んだ。これでダービーは貰ったと思った。それが今でも未勝利とは」

      一方、ツアーの席で酔っ払っいながら話していたのは、アエロリットの◯◯だ。「この馬はすごい!これで外れたらこの年はダメだと決死の思いで申し込んだシャープシューターに外れ。第二で引っかかったのがアエロリット。まさかこんなに走ってくれるとはなあ」

      おれ、世の中の不条理というか、神の差配にため息。禍福は糾える縄の如しとはよく出来たことわざだ。

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